複合災害としてのパンデミック:リスク社会におけるレジリエンス構築の構造的課題
複合災害としてのパンデミックという視座
パンデミックは、単なる公衆衛生上の危機として始まりましたが、その影響は医療体制の逼迫に留まらず、経済活動の停滞、社会的な孤立、教育システムの混乱、政治的意思決定の遅滞、情報環境の劣化など、社会システムのあらゆる側面に波及しました。この経験は、パンデミックを単一のリスクとしてではなく、既存の社会構造が抱える脆弱性と相互作用し、被害を複合的に増幅させる「複合災害」として捉える必要性を示唆しています。
気候変動に起因する異常気象、地震や津波といった自然災害、サイバー攻撃、あるいは経済危機など、現代社会は多様なリスクに常に曝されています。これらのリスクは個別に発生するだけでなく、相互に連鎖し、複合的な影響を及ぼす可能性を内包しています。パンデミックは、こうしたリスクが同時に、あるいは連続して発生し、社会全体を揺るがす事態が現実に起こりうることをまざまざと見せつけました。
リスク社会におけるレジリエンスの概念
このような複合的なリスクに満ちた社会において重要となるのが、「レジリエンス(resilience)」という概念です。レジリエンスは一般的に、困難やストレスからの回復力、適応力と訳されますが、社会システムにおいては、予期せぬ事態が発生した際に、機能を維持または迅速に回復する能力、さらには変化に適応し、より良い状態へと変革していく能力を指します。
パンデミック以前の災害対策は、特定のハザード(例:地震、台風)に対する備えや、被害からの迅速な復旧に重点が置かれる傾向がありました。しかし、複合災害としてのパンデミックの経験は、特定の脅威への対策だけでなく、社会システム全体の「強靭さ」や「しなやかさ」を高め、未知の、あるいは複合的なリスクに対しても対応できる汎用的な能力を構築する必要性を浮き彫りにしました。これは、単なる「復旧(recovery)」に留まらず、「より良く再建する(build back better)」という視点や、予防・軽減、準備、対応、復旧・復興といった災害サイクルのあらゆる段階を考慮した包括的なアプローチを求めるものです。
レジリエンス構築を阻む構造的課題
複合災害としてのパンデミックを踏まえ、リスク社会におけるレジリエンスを真に構築するためには、いくつかの構造的な課題を克服する必要があります。
まず、セクター間の連携不足と縦割り行政の弊害が挙げられます。公衆衛生、経済、教育、福祉など、パンデミックの影響は多岐にわたるにも関わらず、これらの分野を担当する組織や行政機関が十分に連携せず、情報共有や意思決定が円滑に進まなかった側面があります。複合的なリスクに対応するには、分野横断的な連携体制の構築が不可欠です。
次に、短期的な視点と長期的な視点の乖離です。危機発生時には目の前の対応に追われがちですが、真のレジリエンスは平時からの継続的な投資と構造改革によって築かれます。しかし、将来のリスクに対する投資は、短期的な成果が見えにくいため、優先順位が低くなりがちです。レジリエンス構築には、長期的な視野に基づいた政策決定と資源配分が求められます。
また、情報環境の複雑化とリスクコミュニケーションの課題も深刻です。パンデミック下では、科学的な知見と不確実な情報、あるいは意図的な偽情報が混在し、市民や政策担当者が正確な情報を得て適切な意思決定を行うことが困難になりました。不確実性の中でのリスク評価と、多様なステークホルダーとの信頼に基づく効果的なコミュニケーションは、レジリエンス構築の重要な要素です。
さらに、社会的な分断や格差の深化は、レジリエンス構築における脆弱性となります。パンデミックは既存の経済的、社会的、地理的な格差を拡大させました。特定の層や地域がリスクに対して脆弱であることは、社会システム全体のレジリエンスを低下させます。包摂的で公正なレジリエンス構築は、社会全体の課題です。
グローバル化が進展した現代においては、グローバルなリスクに対する国際連携と、ローカルレベルでの対応力強化のバランスも問われます。パンデミックは国境を越えるリスクであることを示しましたが、各国の対応にはばらつきが見られ、国際協力体制の脆弱性が露呈しました。同時に、地域社会やコミュニティレベルでの自律的な対応力も重要であり、グローバルとローカルが連携する多層的なレジリエンスネットワークの構築が必要です。
まとめ:構造変革としてのレジリエンス構築
パンデミックを複合災害として深く理解することは、単に過去の教訓を学ぶだけでなく、我々が直面するリスク社会において、いかにレジリエンスを高めていくかという問いを提起します。これは、特定の技術導入やマニュアル整備といった戦術的な対応に留まるものではなく、セクター間の連携、長期的な視点、信頼に基づくコミュニケーション、社会的な包摂性、そして多層的なガバナンスといった、社会構造そのものの変革を伴う戦略的な課題です。
不確実性が高まる未来において、予測困難な複合的なリスクに対して、いかに社会全体として柔軟かつ適応的に、そして公正に対応できる体制を築くことができるか。パンデミックの経験は、この問いに対する答えを、社会構造の深層に求めることの重要性を示唆しています。