ポスト・パンデミック社会の不確実性:未来予測の構造的課題と意思決定の変容
パンデミックが問い直す未来予測と意思決定のあり方
新型コロナウイルスのパンデミックは、私たちの社会に極めて大きな不確実性をもたらしました。感染状況の急激な変化、経済活動への未知の影響、社会規範の変容など、従来の予測モデルや意思決定フレームワークでは対応が困難な事態が次々と発生しました。パンデミックが収束に向かう中でも、その過程で顕在化した不確実性という構造的課題は、ポスト・パンデミック社会においても継続的な影響を及ぼすと考えられます。本稿では、パンデミックを経て露呈した未来予測の限界と、不確実性下における意思決定の変容という構造的課題について考察します。
予測モデルの限界と複雑系の現実
現代社会は、相互に複雑に絡み合った要素から構成される複雑系であると言えます。経済、社会、環境、技術といった様々なシステムが非線形的な相互作用をしており、一つの小さな変化が予測不能な大きな影響を引き起こす可能性があります。パンデミックは、まさにこのような複雑系の特性を強く示しました。感染症の拡大そのものも、人々の行動、経済状況、医療体制などが複雑に影響し合う動的なプロセスです。
従来の未来予測は、多くの場合、過去のデータや既知のメカニズムに基づいて行われます。しかし、パンデミックのような、過去の経験から大きく逸脱する「ブラックスワン」的な事象に対しては、これらのモデルは有効に機能しませんでした。感染拡大のスピードや規模、経済的・社会的影響の深さや広がりは、当初の予測をはるかに超えるものでした。これは、データそのものの限界(未知のウイルス、新しい事態)だけでなく、モデルが捉えきれない社会システムの複雑性、そして人々の心理や行動といった予測困難な要素が強く影響した結果と言えます。
また、情報の質と量も予測を困難にしました。パンデミック下では、様々な情報源から膨大なデータが提供されましたが、その中には不正確なもの、意図的に操作されたものも含まれており、真偽を見極めることが極めて困難でした。さらに、刻々と変化する状況に対応するためのデータは断片的であり、全体像を把握することの難しさも浮き彫りになりました。
不確実性下での意思決定が抱える構造的課題
未来予測の困難性は、当然のことながら意思決定のプロセスに深刻な影響を与えます。政治、経済、組織、個人のあらゆるレベルで、私たちは極めて高い不確実性の中で決断を下さなければなりませんでした。この状況下での意思決定には、いくつかの構造的な課題が存在します。
第一に、情報の取捨選択と評価の難しさです。不確実性が高い状況では、利用可能な情報が限られているか、あるいは逆に情報が過多で何が重要か判断できないかのいずれかになりがちです。特に危機下では、迅速な判断が求められる一方で、情報の信頼性を十分に検証する時間的余裕がないというジレンマに直面します。
第二に、多様な専門知の統合と調整です。パンデミック対応には、医学、公衆衛生学、経済学、社会学、心理学など、様々な分野の専門知識が必要とされました。しかし、分野ごとの知見が必ずしも一致するわけではなく、異なる視点や推奨事項をどのように統合し、全体として整合性の取れた意思決定に結びつけるかという課題が浮き彫りになりました。
第三に、時間軸の問題です。短期的な感染拡大抑制策と、長期的な経済・社会への影響、そして将来のパンデミックへの備えといった異なる時間軸での視点を同時に考慮した意思決定は非常に困難です。短期的な成果が求められる政治的意思決定においては、特に長期的な視点が犠牲になりやすい構造があります。
第四に、認知バイアスと感情の影響です。不確実性が高い状況では、意思決定者は損失回避傾向や確認バイアスといった様々な認知バイアスの影響を受けやすくなります。また、恐怖、不安、あるいは希望といった強い感情も判断を曇らせる要因となり得ます。集団での意思決定においては、同調圧力や集団思考のリスクも増大します。
レジリエンスを高める意思決定と未来への視座
ポスト・パンデミック社会において、これらの構造的課題にどう向き合っていくかが問われています。もはや、未来を正確に「予測する」ことのみに頼るのではなく、不確実性を前提とした上で、変化に「対応し、適応していく」能力、すなわちレジリエンスを高めることが重要になります。
不確実性に対応するための意思決定プロセスとしては、以下のような点が重要になると考えられます。
- シナリオプランニングの活用: 単一の未来予測に依存せず、複数の異なるシナリオ(最悪のケース、最良のケース、最も可能性の高いケースなど)を想定し、それぞれのシナリオ下でどのような意思決定が有効かを検討します。これにより、想定外の事態に対する準備を進めることができます。
- アジャイルな意思決定: 状況の変化に応じて柔軟かつ迅速に戦略や行動を修正していく能力を高めます。初期の計画に固執せず、フィードバックループを設けて継続的に学習し、適応していくプロセスが求められます。
- 多様な視点の統合: 意思決定プロセスに、多様な専門分野やステークホルダーからの視点を取り入れます。異なる知見を積極的に交換し、多角的な分析を行うことで、よりロバストな判断が可能になります。
- 透明性とコミュニケーション: 不確実な状況であることを認め、意思決定の根拠や考慮されたリスクについて正直にコミュニケーションを行います。これにより、社会全体としてのリスク認知の共有を図り、信頼を構築することがレジリエンスを高める上で不可欠です。
未来予測についても、精緻な一点予測を目指すよりも、可能性の幅(不確実性の幅)を評価すること、そして早期警戒システムや脆弱性の特定に重点を置くことが現実的であると考えられます。テクノロジー、特にデータ分析やシミュレーション技術の進化は、一定の支援を提供しますが、それ自体が不確実性を完全に解消するわけではありません。テクノロジーはあくまでツールであり、その活用にあたっては倫理的な問題や、技術そのものの限界を理解しておく必要があります。
パンデミックは、私たちが住む世界が本質的に不確実であり、予測困難な出来事が起こりうることを強く認識させました。ポスト・パンデミック社会は、この不確実性と共存しながら、よりレジリエントな社会システムを構築していく段階にあります。未来を「予測する」という従来のパラダイムから、不確実性下で「意思決定し、適応し、未来を構築していく」という新たなパラダイムへの転換が求められていると言えるでしょう。